京都・黒谷の旅〜2004年6月23日〜
 来る三国志オフ会で使用します関羽の衣服をお願いするためにレリコジャパンさんの所へ訪問しました。いつもレリコさんの所へ行く前に京都観光をするのが慣習となっており、今回は黒谷の光明金戒寺へと向いました。
熱き思い誠の名に集いし遠い日を ♪
 このお寺は浄土宗の宗祖・法然が庵を結んだ場所ですが、一番のメインは何と言っても京都守護職を拝命した会津藩の本陣となったことで有名です。私がこのお寺を参詣したのも『新選組!』の影響のためです。
 ところでなぜこのお寺を本陣にしたかと言いますと、それは徳川家康の京都防衛の思想が根本になっていると言われています。まずこの地が要害の地で、かつ地理的に御所まで近く、西側からの侵攻を食い止めるのに好条件な土地でした。またここには千人もの兵が入ることも想定されていました。家康は二条城と知恩院を本陣とし、ここ黒谷を前衛基地として設定しており、会津はまさしく徳川家の先駆けとして配置されたと言えます。
 ちなみにこのお寺は京都御所から東に2キロほど離れており、近くには平安神宮などがあります。事あらば馬で10分以内で駆けつけることが出来る場所で、守護職の職務を全うするにはうってつけの場所だったわけです。
第百代・後小松天皇の宸翰による額
新撰組が駆け登っていきそうな(?)階段
 このお寺の三門ですが、ひとつ見所があります。それは第百代・後小松天皇の宸翰=直筆による額が掲げられています。この天皇は頓知話で有名な一休宗純の父帝です。
御影堂
京都守護職本陣
 さてその三門を登っていきますと本堂にあたる後影堂があります。そしてかつて京都守護職本陣跡を見学することが出来ました。中には会津中将・松平容保に近藤勇が拝謁したと言われている部屋などもありました。感想としまして意外に小さいと思いました。しかし色々と想像が出来、のんびりと過ごし、とても満足しました^^
会津藩士墓地
三重の塔
 会津藩士の墓地ですが、二代将軍秀忠の菩提を弔うために建てられたという三重の塔の麓に林立しています。会津松平家はご存知、秀忠の庶子で、このお寺が本陣に選ばれた理由の一つにこのことが関係しているかもしれません。
『伊勢物語』の主人公・在原業平の邸跡
 とのんびりと黒谷を見学した後は烏丸御池にある京都文化博物館へと向いました。目的はもちろん『新選組!』展を見るためです^^その途中で思わぬ発見で『伊勢物語』の主人公・在原業平の邸跡がありました。
京都文化博物館
『新選組!』一色^^
 『新選組!』展ですが、個人的には満足のいく内容でした。その満足度の大半は鎖帷子の構造がよくわかったことでしょうか^^;また水戸弘道館の「尊攘」の掛け軸なども展示されており、見る価値は充分にあります。
 と今回は思いっきり『新選組!』づくしになってしまいました。いやあ、本当に今年は楽しませてもらっていますね♪
前ページへ戻る